趣味の話

Andrew Wyeth's picture

アンドリューワイエスの図録と
愛住館チケット

先週の日曜日は夕方4時頃まで仕事して、その後セラミック築盛用の筆などを買いに
新宿の世界堂に行ったんですけど、少しの時間の余裕があるのでついでにどこか寄れるとこ
無いかな?と、ネット検索したらたまたま見つけた展覧会に行ってまいりました。

もともと絵とか図工とか中学生レベルでは得意分野で好きだったんですけど
高卒でこの技工業界に入ってからは、とんとご無沙汰でまあ全く接点無かったんですが
ん~~何年前だったかおそらく10年ぐらい前に、何となく
「技工の有料セミナー参加しても身につかないのはなぜだろうか?」という
おそらく講師以外の方が素朴な疑問として思うことを真剣に考えましてw

「そりゃぁ、お金払っているんだから教えてくれて当たり前」 的な、自分自身での
思考停止状態、他力本願に陥っているからではないだろーか?という
まあ言ってみればそれ、相手方(講師陣)の思うツボだぞ!というご意見もあるでしょうが
ある面真実だよね、という自分自身の結論から、

「じゃあ、ちょっと視点を変えてみて他分野から(技工の)形のとらえ方」
とか学んだらいいんじゃないだろうか?という”自分自身の気づき的な!”
浅はかな考えで絵のデッサン教室とかに通い出したのが発端なんですよね。

PorcelainBrush for build-up

油絵用の筆
最近は天然毛でなく化繊を模索しています

それで鉛筆で幾何学形態とか初めて描かされたりしたんですが、結構面白くて
集中力はある方なんでまあ褒められたりした訳なんです(先生は商売上のお世辞言いますわw)

それでも、ああ自分もこんな事に新たな興味が湧いたり仕事に役立つかもしれんし
飲みに行ったりギャンブルより程度のいい趣味じゃなかろうか?ということで
時間の隙間を見つけては首を突っ込んでいってるんですよね。

前置きが長くなったんですが、今回のアンドリューワイエス展ってのも
新宿の四谷にある愛住館という、元官僚で作家の故、堺屋太一さんの自宅?を改造した
こじんまりとした美術館の会期最終日に滑り込んだんですよね。

アンドリューワイエスってもう亡くなっているんですけど、言ったら写実系の作家で
(よく知らない人が「写真みたい~~」っていうアレ)日本人の感性にあう、って
いうのか分かりやすいっていうか、結構人気なんですね。

それというのもおそらく、日本で人気あるのは写実系と印象派。
(印象派は自由っぽいというか、感じたままを表現するというか・・
まあどうなんでしょう?w)
別の見方をすれば、職人芸か天才肌かみたいなところがあって、特に日本では
”手間”に価値を見出してありがたがるところがあって、これは我ら技工士の
”審美系”の分野に通底する部分があって、”何に価値を見いだしているのか”つまり
”何にお金を払う気になるのか” という話にも関わって色々考えさせられるんですよね。

また話がズレズレになってきて申し訳ないんですけど、結局何が言いたいか?
冒頭の写真は自分の持っていた別の展覧会の図録で、今回の展覧会に実物が
あったんですが、鉛筆の素描なんです (私は初見でした)
図録にも寸法は載っているんですが、パラパラめくりではそこまで確認しない。
実物はちょうど選挙のポスターを横にしたくらいのサイズでした(図録では絵葉書ほど)

この絵は本作といわれる別の絵の言わば設計図の一つ、
ぐらいの意味合いの作品だと思うんですけどとにかく画面全体(本作の一部分)を
一つに構成するために必要な要素が描きこまれているんですよね。

何が凄いかって、鉛筆だけで表した明度が、”ビターー”っと合っている。
つまりもっともらしくて真に迫って見え、作品世界に入り込みやすいんです。
美術的には「ヴァルール」と言われるものの概念の一部なのでしょうが、
技工のセラミックワークもこの”明度を合わせる”というのが一番大切だと
言われているのと同じなんですよね。

他にも、以前だったら「ああ、良い絵だねー」とか「これは好きだねー」で
終わっちゃってつまり脳の旧脳部分だけを使ってたものが
「何でこの絵に惹かれるのか」とか「この絵の画角はどう見ても広角レンズの視点だよな」
とか「メリハリやピントで鑑賞者を見せたいポイントに引き込んでんだよな」とか
いろいろ客観視、つまり大脳新皮質を使う練習にもなって来たりするようになったんですよ。

まあ、たまには仕事以外の関心事もいいんじゃなかろーか?
と思って記した次第です。(仕事視点も入っちゃってるけどねw)